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ともかき
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同窓生からの便り松原先生より松原先生より('14/9/26) 青葉会のみなさまお元気ですか。 9月26日金青葉会役員が集まって、懇親会を開きました。 新橋と言えば、学校に近いですよね。 全国の卒業生の皆さん、近況などのご連絡をお待ちしています。 昭和29年卒業3組 青葉会ホームページの開設に深く感謝申し上げますこんにちは 北住 敏麿@三田高校定時制昭和29年の卒業生です.
本日2006.11.1.帰宅しましたら,私の書斎のデスクにワイフがおいてくれました郵
便物の中に三田高校青葉会からの封書があり,封を開いてみましたら「ともがき 30号」で,(中略)早速ホームページにアクセスし
てみました.
ホームページを拝見しておりますと在学当時のことがいろいろと巡って参ります. 昭和35年卒業3組 青葉会ホームページを読んで昭和35年卒業、林(旧姓 岩田)です。3組担任は松尾正恒先生でした。 こう書いても本当に3組だったか?余り自信が有りませんが名簿によるとそうです。 ホームページのお便りの中に数学、物理の宮川先生のお名前を見て懐かしく思い出しました。何度もメールを書きかけては送信する勇気が出ず に止めてしまっていましたが、来年3月定時制が閉校とのこと。残念さもあり、今送らなければと言う気になりました。 今は突発性難聴で耳が不自由になりましたが、なんとか趣味に打ち込める程度の幸せな生活をしています。 私達の学年は同期会を1,2度やりましたが、その後は集まっていないのでは無いかと思います。 私が学生時代、お友達を作らなかったようで何も思い出せないのです。そして現在お付き合いのある方も居ません。 今思うと本当に勿体く、情けないことです。でも60歳の時の同期会でお会いした方々はすぐ学生時代に戻りました。 閉校式には是非伺って、皆様にもお会いしたいものです。 同窓会の事務局、全日制の同窓会と同居は無理なのでしょうか?なんとかしたいですね。 先生がこのホームページの管理をしてくださっているとの事。有難うございます。取り留めなく色々書きましたが今後とも宜しく お願いいたします。昭和42年卒業 同期生忘年会の一コマ(三組 渡辺さんより)2006年10月28日八重洲大飯店にて昭和42年3月卒業生の同期会が開催されました。最初のころは、5年ごとに開催野予定が
3年ごとになり、2年ごとになり第10回目の開催となりました。 昭和43年卒業(1組) 三田高は風化せず伝統ある三田高校定時制の灯が消える、とかつての同級生から聞きました。昭和43年組の中山です。 3月8日は、海外に行っていて残念ながら出席できませんが、寂しさと、母校への感謝の気持ちから、また再出発した自分自身への区切りとして、このメールを投稿いたします。 東京タワーのライトを横目に、三田警察署から高校へのゆるやかな坂を、仕事帰りに通った黒ボタンの詰襟とセーラー服。 それは・・・遠く故郷を後に上京してきた青年の、自立と、東京で将来を掴もうとするけなげな姿にだぶります。 就職列車で到着したてのほっぺを真っ赤にした少年と少女が、つまずき、転びながらも、ひたすら前へ前へとがむしゃらに生きていた時代。 貧しいが、不思議と元気な、青春そのものでした。月明かりに照らされた小さな校庭も、汗を流した木造の体育館も、詩を語ったおセンチ山も、、、 みんな過ぎし日のこととするには、今なお鮮烈にあの日々の映像が蘇ります。いつの間に覚えたのか、「差別」や「人権」について真剣に議論してくる生徒もいれば、 逆に、「昨夜はやばかった」と、いっぱしの兄貴分ぶって肩をいからせる大将もいました。給食時間にタバコをくゆらせる豪傑もいれば、学校帰りに先生と連れだって 赤ちょうちんの暖簾をくぐった夜もあったような気がします。 映画「3丁目の夕日」に描かれた世界は、そのまま高度経済成長を支えた、私たちの思春期に重なります。 あれから半世紀。三田の夜の学び舎から巣立っていった私たち団塊の世代は、その後も、昭和元禄、オイルショック、バブル景気、長期不況、と時代の波に 翻ろうされながら2008年を迎えています。 鏡の前の自分の姿は、眼じわも白髪も増え、身体もかつての体力を失い、年齢相応になってきた感じです。 私はいま東京郊外の大学で、かつての自分たちと同じほどの若者相手に、教壇に立ちジャーナリズムの講義をしています。 いまの青年たちを見ていて思うのは、私たちの時代とはあまりに違うことです。モノがあふれ、何でも手に入る「豊かさ」だけを言っているのではありません。 これが同じ、私たち日本人なのか。私たち親の世代は、結局、自分たち自身が生きることに一生懸命で、精一杯で、きちんと自分の子供世代を育ててこなかった のではないか、と感じることが多いからです。 パソコンでも、携帯でも、カード1枚で何でも買えてしまう。無尽蔵に「怪しげな大人の情報」をやりとりするインターネットが当たり前の生活環境。 将来のジャーナリストを志す若ものに、生きていくためには「我慢」しなければならないことや「譲る」ことが必要な場合もあること、人を「思いやる」こと、 他人の「痛みを知る」ことなど、どういう言葉で語ればいいのか途方に暮れることがあります。 「3丁目の夕日」を見せて若者が一生懸命に生きていたあの時代のこと、豊かさの陰には公害や、格差というたくさんの代償を伴ってきてること、 かつての集団就職組が最近はアジアや中南米からの出稼ぎ組に変わってきてることなど、時代の動きには必ず「光と影」の両方があることを 知ってほしいと呼びかけますが・・・。 定時制の役割もかつてとは違ってきて、社会の変化に合わせて、3部制や専門制など多様化と「統廃合」が同時に進行しているようです。 一昨年まで勤めていた放送局で、都庁番組を担当していたときに、教育部門の長から教育改革の熱弁を聞かされたが、釈然としないものを感じました。 「新価値」とか「経済効率」「リベンジ」という言葉が流行り、古いものは「無駄」として、一掃してしまおうという空気が庁内を包んでいたのを覚えています。 三田高校は、私の中では、今も歴然と輝いています。古く、風化してしまってはいません。 あの頃の自分に帰りたいとは少しも思いませんが、あの貧しさや心の豊かさがばねになって、いまの自分を作り上げてくれたと信じているのです。 風化しない体験。いや、風化さない体験を、いまの若者に伝えたい、と私は今日もまた教壇に立ちます。三田高定時制の卒業生であったことを誇りに。昭和46年卒業2組 46年卒同期会同期会の写真、送ります。2005年10月に麻布十番で開催しました。栗原 昭和46年卒業1組 民謡民舞九州大会で優勝
昭和49年卒業1組 ハマダさんからの近況)Mon, 22 Jan 2007 ご無沙汰しております。ハマダです。 今晩は!二、三日前に三田校のホームページを拝見致しました。 先生がご担当なされていらっしゃるそうでご苦労がうかがえます。 本日は終日、ソフトウェアーラジオを調整致しておりましたが満足のいく 結果までには至りませんでした。 残念です! また、香港の友人たちに年賀状を書きました。 中国は旧正月は2月7日からですから・・・まだ、間に合うでしょう。 いろんな事をやって来ましたし今後もやりたいと思っております。 また、E-Mailさせて頂きます。 昭和49年卒業2組 同期会の報告49年卒の小林です。 同期会を3月8日の閉課程式典の後行いました。 2組担任の川上先生も参加され、大勢ではありませんでしたが、それなりに盛り上がりました。遅くなりましたが写真を送ります。昭和51年卒業1組 30年目の同窓会2006年12月23日北は秋田、西は京都から13人が集まりました。一瞬、うーんと沈黙がはしり「!、おっH君!」という場面 もありました。30年の月日がすぐに氷解して、三田高校時代の話、各自の人生紹介に花が咲きました。宮古島に旅行しました2004年秋の同窓会で、何十年ぶりかで再会した仲間4人が、翌年3月に、沖縄県宮古島に旅行しました。 一人は担任です。今年の12月にクラス会を開く予定です。具体的な日程が決まったらまた、伝言板でお知らせします。 連絡ができない人が多くいます。このホームページのメールに連絡してください。 |